アジア通貨危機とは1997年に発生した一連の金融・経済危機のことです。タイをきっかけとして始まり、インドネシア、マレーシア、韓国などに波及。翌年にはロシアやブラジルなどアジアを超えた地域にも影響が及びました。
1990年代の東南アジアは世界の成長セクターと呼ばれ高度成長を遂げていましたが、欧米のヘッジファンドがタイの通貨バーツに空売りを仕掛けたことにより状況が一変。バーツを始め東南アジア各国の地域通貨が暴落し、深刻な不景気となりました。
この記事では「アジア通貨危機の原因」や「その後の影響」まで分かりやすく解説しています。
日系企業の進出とドルペッグ制でタイの経済は急成長
アジア通貨危機はタイをきっかけとして始まりました。まずは当時タイが置かれていた状況を確認しておきましょう。
タイは1990年代急成長を遂げていた国の1つであり、1987年には経済成長率9.5%を達成。その後も95年まで8%以上の成長を記録しています。
タイがここまでの経済成長を記録した理由は主に3つあります。
- 外資主導による輸出の大幅増
- 低コストでのドル調達が可能なオフショア市場の開設
- ドルペッグ制による為替変動リスクの軽減
日系企業の進出による輸出の増加
1985年のプラザ合意以降、日本では円高が進みました。円高が進むと価格競争力の点で不利になるため、コスト削減を目的に海外へ生産移転が進みます。そ多くの日系企業がタイを始めとした東南アジア地域へ工場を移転し、海外直接投資が増大しました。
ただし資本財、中間財を海外から輸入せざるを得ない。このことが90年代後半の経常収支の赤字につながります。
オフショア市場の開設と金融バブル
さらにタイが独自の金融政策を採用したことも経済成長を支えました。代表的な金融政策は「BIBFというオフショア市場※の開設」と「ドルペッグ制の採用」です。
国境をまたいだ資本取引に対し、国内市場のルールとは切り離した規制や課税方式を適用する非居住者向けの市場のこと。日本にもJOMというオフショア市場がある。
当時のタイは国内市場とオフショア市場という2つの市場がありました。1990年代に国内市場でのバーツの貸出金利が13%程度であったにも関わらず、オフショア市場では6~7%程度でした。
通常は海外からの借り入れをする場合、為替変動リスクがあるはずです。しかしタイはドルペッグ制※を採用していたため為替変動リスクを回避しました。
自国通貨の価値を米ドルと連動させる固定相場制です。主に発展途上国が自国通貨の貨幣価値を安定させるために用います。ドルペッグ制を採用すると自国通貨の乱高下を抑えることができますが、アメリカの金利政策に左右されるデメリットもあります。
当時のタイは1ドル=26バーツ付近で為替レートが固定。ドルペッグ制が採用されている限りバーツが極端に下落する可能性はありません。
オフショア市場にアクセスできる信用力のある企業はかなりの低コストでドルを調達できたのです。
オフショア市場とドルペッグ制によりタイには多くの海外資本が流入しました。当時の外貨流入額はGDPの50%にまで達していたとされます。
流入した資本の多くは短期資本(返済期間が1年以内)であり、その多くは不動産など投機的な商品へ投資されました。
不動産への過度な投機はタイに金融バブルをもたらし、通貨危機後に不良債権問題をもたらしました。
米国の政策転換によりタイの経常赤字が拡大する
アメリカの政策変更によりバーツが割高になる
急激な経済成長を記録していたタイですが、1996年の経済成長率は5.6%と前年の8.1%の比べて少し鈍化。
理由は「急速な経済成長に伴うタイ国内の賃金上昇」や「中国人民元の大幅切り下げによるASEAN諸国の輸出競争力低下」というものもあります。
しかし大きな要因は1995年にアメリカが打ち出した「強いドル政策※」です。
「強いドルが国益にかなう」と唱える通貨政策。強いドルが米国経済の成長を牽引しているという考え方です。1995年にルービン財務長官が提唱し、歴代財務官はこの考えを引き継いでいます。
強いドル政策によりドル高が進行しました。ドル高が進むとドルペッグ制を採用しているバーツの貨幣価値も連動して上昇。バーツ高になれば輸入にとって不利な状況となります。
輸入増加で経常収支は赤字に
さらに輸出製品に用いる資本財や中間財をほとんど海外からの輸入に頼る産業構造が問題となりました。
当時のタイは日系企業を中心とした外資の進出による輸出で経済成長をしていました。海外企業が設備投資を行うには設備機械が必要です。しかしタイ国内には輸出製品をつくるための資本設備や中間部品を製造する技術がありませんでした。
そのためタイは輸入された部品を組み立て出荷する工程だけを担う場所になり、必要な部品はすべて海外から調達していたのです。
経常収支は輸出より輸入が多くなると赤字が拡大します。強いドル政策によるバーツ高も重なり、タイの経常収支赤字は拡大しました。
タイの成長が鈍化したのに為替レートは固定されたまま
タイの景気悪化とバーツの割高感というミスマッチにヘッジファンド※が注目しました。
富裕層や機関投資家などから資金を集め、ハイリスク・ハイリターンな投資を行うファンド。ヘッジには市場リスクを回避(hedge)するという意味があり、どんな市場局面でも確実に利益を出すことを目指して運用されます。
ヘッジファンドについて詳しくは「ヘッジファンドとは?投資手法や購入法、リスクを解説」で解説しています。
ヘッジファンドはタイが現状の為替レートを維持するのは不可能と判断し、1997年5月14日バーツに空売りを仕掛けます。
空売りとはレートが高いときに売り、安くなったときに買い戻すことで利益を獲得するものです。ヘッジファンドは対象通貨を大量に売却し、暴落した後で買い戻せば為替差益により大きな利潤を獲得できます。
空売りされると市場にはバーツが溢れます。タイ政府がドルペッグ制を維持しようとすれば、バーツ買いドル売り介入をしなければなりません。
ただしタイ政府の外貨準備高※が底をつきれば、固定相場制を維持することは不可能になり、変動相場制へ移行せざるを得なくなります。
各国の通貨当局がすぐに利用できる対外資産。急激な為替変動を抑制する際や、対外債務の返済が困難になったときなどに使用されます。
結果的にタイはヘッジファンドの攻撃を耐えることができず、アジア通貨危機が始まります。
バーツは暴落、タイはIMFに支援を要請
7月2日にタイ政府はドルペッグ制を放棄し、変動相場制に移行すると発表。
これに合わせてバーツは暴落を始め、1998年1月には1ドル=54バーツとなりました。
タイ政府は1997年8月にIMF※へ資金援助を要請。公的支援策がまとめられ、IMFや日本を中心に総額160億ドルの融資がタイに支払われることになりました。
しかし公的支援策では無条件に融資が行われる訳ではありません。
IMFは主に以下のような内容をタイ政府へ要請しました。
- 外貨準備の確保
- 経常・財政収支黒字化
- インフレ抑制
- 付加価値税(消費税)を7%→10%へ引上げ
- 電力、水道料金の引き上げ
このような要請が求められたタイ政府は、政府歳出削減や引き締め政策を実施。その結果タイ経済は大きな打撃を受けました
1998年の経済成長率は-7.63%、実質GDPも前年比から10%以上減少しました。
アジア通貨危機は世界中へ影響を与えた
タイのバーツ急落に合わせ、ほかのASEAN諸国でも通貨の下落や経済成長の減速が続きました。
ドルペッグ制は他の東南アジア諸国にも採用されていたため、アメリカの金融政策の転換によりタイと同じような影響を受けたのです。
次の表に各国の主な出来事をまとめています。
通貨危機の影響 | |
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マレーシア | ・ヘッジファンドから空売りを受ける ・変動相場制へ移行し、自国通貨リンギットが50%近く下落 ・IMFへの支援要請は行わず、自力での再建を目指した |
インドネシア | ・1997年8月に変動相場制へ移行 ・98年にはルピアが40%近く暴落 ・30年以上続いたスハルト政権が退陣 |
韓国 | ・財閥系の起亜自動車が破綻し、経済状態が悪化 ・韓国の国債格付けがA1からA3へ下落 ・1ドル=850ウォンから1ドル=1,700ウォンまで下落 ・1999年には財閥系第2位の大字グループが破綻 |
ロシア | ・世界のエネルギー需要低迷により経済が低迷 ・ルーブルの暴落とデフォルト(債務不履行)が発生 |
ブラジル | ・経常収支と財政収支の赤字拡大で資本流出が深刻化 ・固定相場制を放棄し、レアルの大幅切り下げを実施 |
マレーシアは資本規制を行い、翌年には経済成長率が回復
タマレーシアも空売りのターゲットとなりました。1997年8月に変動相場制へ移行すると、1ドル=2.9リンギットから4.5リンギットまで急落。
ただしマレーシアがタイと異なっていたのは、IMFに対し支援を要請しなかったことです。
98年9月にマレーシア中央銀行は資本規制※と為替レートの固定化を導入。1ドル=3.8リンギットに固定すると発表しました。通貨危機により変動相場制へ移行しなかったのは中国とマレーシアの2カ国のみでした。
国内の資金移動を制限し資本流出を防ぐ規制のこと。預金引き出しや国外送金の制限などを行います。
マレーシアの98年の経済成長率は-7.36%と落ち込みましたが、翌年の99年には6.13%と回復を見せました。
インドネシアでは政権が崩壊する事態に発展
通貨危機以前インドネシアは財政も比較的安定していました。為替相場も1ドル=2,000ルピア付近で固定でした。しかし通貨危機後、1997年8月にインドネシアが変動相場制へ移行すると下落が発生。
12月には1ルピア=4,000ドル、1998年5月には1万7,000ドルまで下落しました。
インドネシアの政府債務も急激に増加。ルピアの暴落により多くの企業が債務の返済不能に陥り、銀行は多額の不良債権を抱えました。
インドネシアはIMFに100億ドルの支援を要請。タイと同様に緊縮財政や経常収支黒字化など厳しい要請を突きつけられ経済状況が急速に悪化します。
さらに98年5月に政府がIMFとの補助金削減合意により燃料価格や電気料金等の引き上げを発表すると各地で暴動が発生。この暴動をきっかけにスハルト大統領の支持が低迷します。
結果32年間にわたるスハルト政権が崩壊する事態になりました。
通貨危機後はIMFによる経済運営が行われ徐々に経済も回復しています。
しかし1999年の成長率は0.79%に留まり、2007年まで一度も成長率が6%台に届かないなど「失われた10年」とも言える苦しい時代を過ごすことになりました。
韓国では財閥企業の倒産が相次いた
通貨危機の影響は韓国にも及びました。1997年1月に製鉄企業の韓宝鉄鋼、7月に自動車企業の起亜自動車が倒産するなど、財閥系企業の破綻が発生。
ムーディーズやS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)などの格付け会社は韓国の「ソブリン格付け※」の引き下げを実施しました。
国家の総合的な返済履行能力を示す格付け。債権や債務の支払い能力や意思がどれほど高いかを表します。
1ドル=850ウォンから97年末には1,700ウォンまで下落。
97年の11月にIMFは210億ドルの資金援助を行いました。
韓国株、経済について詳しくは「韓国株の買い方とは?新興国への進出が盛んな韓国産業のススメ」で紹介しています。
ロシアやブラジルでも通貨下落が発生、危機はアジア以外にも広がった
ロシアではルーブルの暴落とデフォルト(国債の債務不履行)が発生しました。
ロシアは輸出額の大半を石油やガスなどの天然資源に依存していましたが、通貨危機に伴う世界的な経済減速でエネルギー需要が後退。輸出品の価格が下落し、経済状況が悪化したのです。
ロシアの財政破綻を懸念したIMFは1998年7月に緊急支援を決定します。
しかし翌月にロシアの中央銀行が「ルーブルの切り下げ(対ドルで約25%)」と「対外債務の90日間停止(モラトリアム宣言)」を発表したのです。
モラトリアム宣言は格付け機関にとって事実上のデフォルトを意味します。結果的にルーブルは大幅に下落。1ドル=6.2ルーブルから20ルーブルまで暴落しました。
ロシア国債に投資していたヘッジファンドのLTMCが経営危機に追い込まれるなど、多くの投資家に損失を与えたのです。
またブラジルにおいてもアジア通貨危機とロシア危機の影響で資本流出が発生していました。
米国、ドルへの依存が金融危機のきっかけとなる!
通貨危機の教訓は、対外資産であるドルに依存し過ぎる危険性です。
タイが1996年頃から経済減速した理由の1つに「強いドル政策」がありました。アメリカの政策変更がタイの経済に大きな影響を与えたのです。
新興国の発展のためにドルを借り入れ、米国の政策変更で新興国の経済が停滞するという構図は1994年にメキシコで発生した「テキーラ・ショック」などでも起こっています。
米国は未だ世界経済や株式市場に大きな影響を与え続けています。2000年代前半のITバブル崩壊は日本経済にも影響を与え、2008年のリーマン・ショックでは100年に一度と言われる世界同時不況をもたらしました。
株式市場においてアメリカの及ぼす影響力は大きく、その動向には十分な注意を払わなければなりません。